プロローグ















物心ついた時から、ボクはこの施設にいた。



周囲には色んな年頃の子たちがいる。
小さい子はまだ赤ちゃんだし、大きい子は高校生くらい。
みんなここで大きくなって、18歳になったり、
誰か大人の人が迎えに来てくれた人だけ、ここを出て行く。






薄灰色の壁と、広い庭。
施設には「先生」と呼ばれる大人の人たちがいた。
ボクは先生のことが大好きだった。
先生はたくさんいたけれど、一番大好きだったのはナナ先生。




ナナ先生はいつもボクに優しくしてくれて、よく折り紙を折ってくれた。
「ボク、ずっとナナ先生といる」って言った時、
嬉しそうに笑ってくれたのを今もよく覚えている。








朝になったらみんなとご飯を食べて、学校に行く。
みんなこうやって生活してるんだって、小さい頃のボクは疑わなかった。






けれど小学校に入ったばかりのある日、友だちに言われた。
ボクがいるのは「こじいん」で、ボクは「みなしご」なんだって。





ボクはそれがよく分からなくて、でもそう言った友だちの顔はとても意地悪だった。
だから施設に帰った僕は真っ先にナナ先生に聞いた。
「こじいんってなぁに?みなしごってなぁに?」




先生はほんの少しだけ困った顔をした。
「ボクのおとーさんってどこ?おかーさんはどこ?」




何も言わずに、先生はボクのことを抱きしめた。












中学生になる頃には、ボクもこの施設がどういう場所なのか分かるようになった。


ボクのお父さんは?お母さんは?
知りたい気持ちもあったけれど、それを聞くことはなかった。
無邪気だった時とは違う。
ボクはずっと怖かったのだ。





ボクは、両親に捨てられたんじゃないか、って。













そんなある日、ボクはナナ先生に呼ばれて普段は入れない応接室に呼ばれた。


質素な扉を開けると、そこは施設内のどの部屋より立派でキレイだった。
壁には額縁に収まった風景画が飾ってあって、反対側の壁には大きな古時計。
部屋の中心には大きな机と、革張りのソファ。
ソファには施設長のおじさんと、初めて見る男の人が座って、何か話をしていた。





ボクは状況がよく分からなくて、ナナ先生の後ろにそっと身を隠す。
「大丈夫よ」
優しい声で先生がそう言ってくれて、少しだけ安心したけれど。







「おお、来たか」
施設長のおじさんがいつもの人の良さそうな柔和な顔でニコリと笑って手招きする。
どうしよう、と先生を見ると、先生は小さく頷いてボクの背中を押した。





「君に、お迎えが来たよ」
おじさんがそう言うと、隣に座っていた男の人が立ち上がってボクの傍に来た。



知らない男の人と話したりとかすることのなかったボクは何だか怖くて、
どうしたらいいか分からない。
男の人は優しくボクの髪にふれた。







「覚えてねェか?」
そう言って。





困った顔のボクに、ナナ先生が
「アナタの、お兄さんよ」と言う。





「ボクの…お兄ちゃん?」






ぽかんとするボク。
だって今までお兄ちゃんがいるなんてこと、聞いたこともなかった。



施設でお兄ちゃんって呼んでた人はいるけど、この人は施設の人じゃない。
それでも先生がボクに嘘をついたことはないから、この人は紛れもなくボクの兄なのだ。
突然のことに動揺しながらも、同時に湧いてきた期待。






「じゃ…ボクのお母さんは?お父さんは…!?」
きょろきょろと辺りを見回すボクに、先生と施設長がそっと目を合わせた。




「オマエの両親は、もういない」
男の人は少しだけ悲しそうにして、ボクの髪をまた優しく撫でた。
どうして、と聞きたい気持ちはあったけれど、ボクはそれをぐっと飲み込んだ。





「お兄ちゃんは、ほんとうにボクのお兄ちゃんなの?」



「ああ、そうだ」




「どうして…どうしてもっと早く来てくれなかったの?」





目頭が熱くなる。
ずっとずっと寂しかったのに、と心が叫ぶ。
頬を伝う涙をそのままに振り返った。







「先生も!どうしてボクにお兄ちゃんのこと教えてくれなかったの…!?」



今までボクはボクの家族のことを何度も聞いた。
でもお兄ちゃんがいるなんてそんなの、聞いたことがない。
突然現れた兄という存在にひどくうろたえるボクは、先生の手を強く握った。




「オレが、言わないでくれって言ったんだ」
よく通る低い声が背後からボクに呟いた。




「オレがオマエの面倒を見れるようになるまで、迎えにこれるようになるまで、オレのことは黙っててくれと…そう言った」






「どうして…」
適当な答えだったら許さないから。
先生の手を握ったまま、ボクは小さく俯いた。





「兄がいると知ったなら、オマエはオレに会いたいと。もっと寂しい想いをするだろうと、そう思ったからだ」








その人の手がボクの肩にふれて、ぎゅと強く抱きしめる。
大きなカラダ。
大きな手。
少しだけ香る、煙草のにおい。





「ずっと、会いたかった」






「嘘…」
震える声でボクは呟いた。
自分にもよく分からない感情が胸の奥から溢れてきて、涙が止まらない。





「嘘じゃねェ。会いたかった」



「本当に?」





「本当だ」







ひっく、ひっくと嗚咽が止まらなかった。
ボクもお兄ちゃんに会えて嬉しいよって言いたいのに、うまくそれが言えない。





「もうボクを一人にしないでね」
ようやく言葉になったそれに、お兄ちゃんは頷いて、
ボクが泣きやむまでずっと抱きしめていてくれた。
























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