『大人と子供の境界線






大人の世界とは不可解で、それでいて見えない糸が何本も複雑に絡み合っているようなものなのだと……
まだまだ子供な僕は、いつからか勝手に思い込んでは鬱屈した溜息を漏らすようになっていた。



そう、大人の人を好きになってからというもの、その想いは日に日に拡大していくのだった。







吸い込む空気にすら埃が混じっていそうな空間の中、所狭しと資料が押し込められた此処『資料室』では、互いの呼吸までもが感じ取れる。
次の授業で使用する大判の世界地図を探している社会科学教諭、六氷透。
そして彼の背後では経緯を測る為に用いる大き目の分度器、更には色とりどりのチョークが入った小箱を腕に抱えながら、大きな地図を一枚一枚広げて確認をする男の背中をじっと見つめている生徒、草野次郎。
二人は今、この狭い空間で、会話のない時間を過ごしていた。


閉め切った部屋の外からは、無邪気な生徒達の笑い声がひっきりなしに聞こえてくる。
その度、草野はブレザーに着られた小さな肩を微かに震わせていた。


そして意を決した表情でようやく開口する。



「ね…ねえ先生!」

緊張のためか、いつもより少し高めなその声に違和感を覚えたか、呼ばれた教師は屈ませていた体を起こして徐に振り返る。


「なんだ」


発せられた声色は、普段とまるで変わらないもの。
こんなにも隔たれた空間に居て、更にはその目の前に大好きな人がいる…それだけで簡単にうかれていた自分に少しだけ羞恥を抱く草野だった。
だが、握り締めた拳に更に力を込めると、少々張り上げた声で言葉を続けた。


「…僕ってそんなに子供ガキ、なの?」

「なんだ?今更…」


あまりにも飛躍しすぎた内容からか、それは眉を寄せた六氷にとっては意味不明な設問でしかない。
だが見上げる草野の瞳があまりにも真剣で、切ない色を含んでいるのを確認すると、続く筈の言葉を咄嗟に飲み込んでしまう。


「だって先生……ぼ、僕がまだ子供だからなにもしないんでしょ!?いっつも上から見下ろすばかりで…僕は頑張って背伸びをしても先生はちっとも気付いてくれない…ッ」


胸中で渦巻く不安の濃霧を、息つく暇もないほどの早口で言い終えると、草野はいつの間にか滲んでいた涙を手の甲で素早く拭い去った。
見ると、眼前の六氷は未だ閉口を保ったまま。
先程まで心地よく感じたこの部屋の静寂が、今はどっしりと草野の肩に圧し掛かっている。

「あ……先せ」

居た堪れなくなった空気に気まずさを覚えて、思わず声が漏れる。
しかし教師の名を口にするよりも早く、六氷が二人の距離を縮めた。



「なにが言いてェんだお前は…」

「だ、だから…!」

真っ直ぐ見下ろされる今、今し方吐露した言葉を再度、視線だけで催促される。しかし草野は気恥ずかしさに負けて上手く反論することが出来ない。




なに、

これが大人の余裕ってやつ  な の …?




そして草野の口が弱々しく言葉を紡ぐ。



「ズルイよ…先生ばっか大人で……僕だって先生と同じように…大人なこととか、たくさん一緒にしたい…のに」




決定的な言葉を口にした―――


そんな気が、した。




草野の俯く顔が見上げたと同時に、六氷の腕が彼の腰に回り、その小さな体を力強く引き寄せる。
ぴたりと距離を無くした二人の身体。それは微かに漏らす吐息でさえも鮮明に分かるほどの距離間だ。

六氷の向ける真摯な表情とはうって変わって、草野の視線は忙しなく泳いだり身を捩らせたりと、まるで落ち着きがない。
それでもがっしりと押さえ込んだ腕から力を緩めることなく、六氷はゆっくりと腕の中の子供を見据えた。



「ガキが……あまりらしくないこと言ってると、このまま喰うぞ」



いつもより低めな声で。

鼓動が逸り出すほどの掠れた声で。



「食べたきゃ食べればいいじゃ――…ッ!」

返答も待たずして、二人の影は強引に重なった。




見開く視界一杯の肌色。

そしてよく見知った、人のパーツ。

それが六氷の顔だと分かったときにはもう既に唇をきつく塞がれていて、口腔に入り込んだ六氷の舌が大胆に唾液を絡め取っていく。
歯列をなぞり、ときに優しい動きで口内を蹂躙するも、逃げ惑う草野の舌をきつく吸い上げるなど、それは多少性急な口付けだった。


「ンー…ん…ッ」


六氷との間に挟まれるようにして縮こまっていた腕が突っ張ろうとするが、今の六氷にはどんな行動も抵抗ですら取ってもらえない。
むしろ更に煽ってしまうのか、激しくなる大人のキスがなによりの証拠だった。


「先…ッン!」


含みきれない唾液が草野の顎に銀色の細い筋を生む。
そして草野にとっては何時間にも感じられた濃密な時間がようやく開放された。
荒い息を肩でつく中で、眼前の六氷は顔色一つ変えていない。


…やっぱり自分ばかり。


ギリギリの危うい思考回路で、草野はまた一つ不満を零す。

腰に回る腕から力が抜けたとき、これもまた余裕な笑みを浮かべた六氷が言葉を放った。



「ガキはガキらしく、センセイの言うことを大人しく聞いてりゃいいんだよ」



その顔は一人の大人の男の顔―――だった。



不敵な笑みを浮かべて、唇に小さなキスを一つ。
されるがままな草野に、六氷はくくっと肩を震わせて笑った。



「…草野、返事」

「―――ッ、は…イ…」

「よし。上出来だ」



完全に身体を開放した六氷は、意識が鈍ったままの草野を余所目に、さっさと踵を返してしまう。
そして今まで二人を閉じ込んでいた扉を開け放つと、行くぞと、ただそっけない言葉を残して一人、退室した。






なんだろう。

やはりいいように言いくるめられてしまった気がする。





「先生のばか…」


草野は前を行く広い男の背中を見つめながら、未だ残る熱い感触と大人の香り、そして少しだけ苦い煙草の味がする唇を軽く摘んだ。












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■憧れの大神様、108のトウコさんより頂いてしまいました…!
ががががが学園物ですよ、トウコさんの学園物…あわわわ!
まさかトウコさんの学園小説を拝読できるなんて…わ、我が人生に悔いなし…!(倒)
トウコさんの書かれる六氷先生のカッコよさにもう鼻血なしでは読めませ、ん…(失礼だよ!)
個人的には返事を促すシーンに相当悶えております…!(震)
うっかり朗読までしました(痛)
本当に本当にありがとうございました…!!
これからもよろしくお願い致します。
トウコさん、愛しておりますー★(迷惑発言)