白い世界の果てに




















ぼくは、ずっと待っている。




だれもいないこの場所で、ずっと待っている。




















ひとりぼっちになってしまった。



あの日。
きみが、親友を助けたあの日。





禁魔法律に染まってしまった彼は、もう人として生きていくことはできなかった。
その魂はまるで砂のよう。
サラサラと指間から零れ落ちて、僅かに吹きぬける風にもさらわれてしまいそうに脆くて。
人という存在に戻すために必要だったのは、それに値する器だった。
だから、あの人は自身を犠牲にした。
自らの命を賭して、彼に人としての生を還した。





だからもう、きみはいない。






サラサラと消えたのは、きみのカラダだった。














呆然と見つめるしかなかったぼく。
だって、きみは親友を心から助けたいと願っていたから。
それを知っていたぼくに、手を差しのべる以外いったい何ができたというの。




この手に残った、白い砂のようなもの。
きみだったもの。






不思議とナミダも溢れなくて、ただ張り裂けんばかりに胸が痛かった。
潰れてしまいそうに、心が痛かった。
























たったひとり。
ひとりきりの事務所。




こんな日がくるなんて、考えたこともなかったんだ。
ずっと一緒にいられるって、そればかり信じていたの。







まだナミダは出ない。
きみが愛用していた机にもたれて、外を眺める。





いつの間にか冬がきていた。
しんしんと降り積もる雪。




きみの最期の姿みたいだ。
そんなことをふと思った。


















瞼を閉じると、きみとの思い出ばかりが頭をよぎる。
いつも不敵に笑っていて、いつもぼくはきみのそんな姿に支えられていた。




出張先の知らない町で迷子になってしまって泣きべそをかいていたぼくを、
あの時見つけ出してくれたきみ。
「おい。迎えにきてやったぞ」偉そうにそう言って。
安心してわんわん泣くぼくに少し呆れたような顔をして、
それでも落ち着くまで頭を撫でていてくれた。

















ねぇ、きみはどこにいってしまったの。
やくそくだったよね。
ずっと、そばにいるって。
ずっとずっと、離れないって。







きみはどこ?
待ってるよ、ぼくはここで。
ぼくはここにいるよ、ねぇムヒョ。





















物音ひとつしない事務所。
きみがいなくなってから、いろんな人がここにきたんだ。



ヨイチさんや、ビコさんや、そしてきみが助けたあの人も。




みんなが手を差しのべてくれたんだ。









でもぼくはその手を取れなかった。
黙って首を振るしかできなかった。
だって、ぼくが待ってるのはきみだけだから。










この事務所が、ぼくときみのやくそくの場所だから。




















あぁ、でも、ムヒョ。
ぼくも少しだけ待ちくたびれちゃったよ。




何だか最近とてもね、カラダが重いんだ。
ご飯もあんまり食べられなくって。
ダメだね、ぼくは。
きみが帰ってきた時、元気に微笑って迎えたいのに。



























窓の外は雪。
事務所の下に広がる雪の世界。









机からそっと離れて、久し振りに窓を開ける。
ひゅうっとツメタイ風が通り抜けて、僅かに体温を奪った。






静かな、世界。
見上げると、雪を落とす白い空の真ん中を、小さな黒い鳥が横切った。
僅かに震えながら、それでも力強く羽ばたく姿にぼくは瞳を眇めた。



きみはどこへいくの、小鳥さん。
ぼくはもう飛べなくなってしまったんだ。
片翼が凍りついてしまって、もう飛べないんだ。









風が、つめたい。







くらりと視界が揺れた。
つめたい雪が頬にふれたのにも気づけずに、ぼくは嘆息する。


















ぼんやりと見つめる白一面。
窓枠にカラダを預けて、瞳を伏せた。



























ふと、声が聴こえたような気がして目を開ける。
雪と、風が一層強くなる。




霞む視界のその先、事務所の下に、ぼんやりとした人影があった。
黒い髪。
黒い瞳。
黒曜石を映したようなその姿。







「……ムヒョ」






きみなの?
ねぇ、ムヒョ。













あぁ、間違いなく、きみだ。
ずっと待っていたんだ。


そのきみが確かにそこに見える。
そこにいる。








もういっそ、幻だって構わない。




















「ムヒョ」








待っていたんだ。
待ってたんだ。
きみを。






ナミダが溢れた。
まるでこのときを待っていたかのように、ナミダが止まらなかった。



ムヒョが小さく笑う。
そうして、言った。















「迎えにきてやったぞ」

















優しく微笑って、腕を広げてくれる。
白い雪。
白い世界。
黒を纏うきみ。









ぼくは迷わなかった。
窓枠に手をかけて、ゆっくりとカラダを宙に舞わせる。
ここが地上何階だとか、そんなことはどうでもいい。




だって。
だって、ムヒョがいるんだ。






ムヒョが微笑ってくれるんだ。














ねぇ。
羽は凍りついてしまったよ。



でもまた飛べるんだ。
きみがいれば、どこまでだって飛んでいける。

















風がカラダを包んだ。
雪が肌にふれてとけた。






目の前には真っ白の世界。
優しい目をしたきみ。
















まってたんだ。
きみだけを、まっていたんだ。



もう、離れないでね。
ずっとずっと、どうか一緒に。









またぼくは泣けるよ。
また笑えるよ。
きみがいれば凍ったツバサで羽ばたくよ。













「 おかえり、 ムヒョ   」























◆雪作品2つめ。

ロージーが見たのは幻か、そうでないのか。