この想いに、代わるもの。





















僕は、漠然とだけど、いつかその日がくるのを知っていたのかもしれない。













淡いライトブルーが広がるその下で、僕はただ立ち尽くしていた。

足元の薄い灰色を埋め尽くすような枯葉が、僅かに擦れあう音を立てて、通り過ぎていく。
強くもなく弱くもない、ただ静かに吹きぬける風。





柔らかで穏やかで優しさに溢れたライトブルーは陽の光をも和らげるように滲み、
雲はひとつもない。



静かだった。











どこからか子どものはしゃぎ遊ぶ声が聞こえて、僕はふと笑みを浮かべる。
それは体に染みついたような殆んど反射的な表情だったけれど、
僕はそれでもほんの少しの驚きを覚えた。



「笑えるんだ、まだ、僕は。」





先刻まで笑みを刻んでいた唇を、指でゆっくりとなぞる。
悲しみは消えなくとも、人はこうして笑えるのだ。


今まで知らずにいたそんなことに気づいて、僕は何度か瞬きを繰り返す。
それを知ったことは僕にとっての救いなのだろうか。
そんなことを考えて、少しだけ悲しくもなった。











キィ、キ……。




何かが軋むような音と、それが落ち葉を踏む音。
もう聞きなれてしまったその音に、僕は振り返ってその姿を視界に捉える。


質素だがしっかりと造られた車椅子に乗った彼は、穏やかに笑った。
それは、以前は見られなかった穏やかな笑み。




「一人で、ここまで来たの?」



たいしたことのない距離だ、事務所からここまでは。
けれどそんな些細な距離でさえ、今の彼にとっては大変なことなのだ。
この状態になってすぐの頃は、事務所から出ることさえ頑としてしなかったのだから。



コクリと頷く彼は、ほんの少し自慢げにさえ見えた。
偉いね、と言うときょとと目を見開いて、それからまた笑った。







「もう秋がきたんだよ、早いね、時間が経つのは」
ゆっくりと車椅子を押してやると、彼は風を感じるように瞼を伏せた。



















そう。

もう、何度目の秋を迎えただろうか。
まだ数回のような気もするし、もう何十回も迎えたような気もする。



あの日のことは、今でも鮮明に、まるで昨日の出来事のように覚えている。







魔法律書を片手に、反逆者となった友と対峙したムヒョを、僕は見ていることしかできなかった。
もちろん僕自身が複数の怨霊たちを相手にしなければいけないという状況で、
彼の援護をすることは不可能に近かったのだけれど。


でも今だから思う。
仮にあの時怨霊がいなかったとしても、僕はムヒョの援護をすることはなかったろう。




これはオレの戦いだ、と。
小さすぎる執行服の背中がそう言っていたから。







最後の怨霊を倒した僕が見たのは、魔法律書から眩いばかりの光を溢れさせた、ムヒョの影だけの姿だった。
光はムヒョと、かつての親友を包み込み溢れていて、そんな時なのに僕はその美しさにばかり目を奪われていた。





あぁ、これで全て、終わる。


根拠はない。
そんなものはないけれど、僕は間違いなくそれを知っていた。






そしてこの戦いが残す傷は、きっと深いものであろうことも。



















「……」


僕を見上げる瞳は、何か言いたげに訴えかけてきた。
小さく唇を動かしているが、そこから音が零れることはない。




「どうしたの?……あぁ、落ち葉だね、もうじき冬がくるから」


彼の膝の上にはたくさんのこげ茶の葉。
細い指がそれを恐る恐る持ち上げる。
まるで葉が崩れてしまうことを畏れるような、その手つき。
不安げなその仕草は、繊細というそれよりも、どこか痛々しく感じてしまう。








声を失い、自らの足で立とうとしなくなった彼。
何箇所かの病院に連れて行くも、どの医者もただ首を振った。



身体的異常はない。
ただ、深い、内面的な問題なのだろうと、それしか分からずにいる。



















キィ…キィ、と車輪の軋む音。
僕は靴底で落ち葉を踏み崩して歩く。



振り向いてそれを見つめる彼の瞳が揺れた。
瞳の輪郭を揺らせたそれは、ただ静かに睫毛を濡らして頬を伝い、落ちる。


幾すじもの跡を残したそれは、彼の服にいくつもの染みを生んだ。

















どうしてテメェはそんなに泣くんだ、と昔よくムヒョに言われた。
涙にはいつも理由があったと思うのだ。


ただそれは、涙以上に心を飽和させて溢れ出すそれは、理由なんてすぐ見つけられなくて、
それすらもどかしくて僕は、ただひたすらに涙をこぼし続けた。





思えば、ムヒョは理由を求めていたのではないだろう。
そんなものを求める人ではなかった。






あれはムヒョなりに、僕を宥めようとしてくれていたのだ、きっと。























「悲しいんだね。」



子どものように泣きじゃくるその肩を後ろから抱きしめる。
それにすら気づかないように涙を落とす彼。






痛いんだね。
痛いんだね。



大切な人を失ったから。
それが苦しいんだね。





こぼれるそれはきっと、痛みそのものなのだ。










抱きしめた髪に顔を埋めて、薄目で見た景色に、茶が舞っては消えていく。
街路樹に葉は殆んど残っていない。
踏まれた葉はいずれ土に還るのだろう。






「帰ろうか、寒くなってきたから」














知らず僕の頬を伝っていた透明な熱を、彼―――宙継の指先がそっとすくいあげる。



この感情の意味を、君は知っている?
そう聞こうとして、どうしてもそれは言葉にならなくて、ただ涙は止まらなかった。

















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淡いブルーが突き抜けるように高い。
淀みない空のこんな日、ムヒョ、君はどこか嬉しそうだった。



言葉少なな君は、表に出さずとも、多くの感情と想いを持って、世界を愛していた。
僕はそれを知っている。
だから、君がいない世界をも、愛していける。






君は、ちゃんと宙継さんを助けたんだ、あの濁った黒以上の暗闇から。
僕はそんな君を、誇ってもいいんだよね?













言い損ねた言葉がたくさんあるの。
いつも、いつも、ずっとここに。



いつかまた会えたなら、そう、君は不敵に笑っているんだろう。
大切な言葉は、いつか、のためにとっておくね。













ただ、今は、今だけ、さよなら。






その言葉しか思い浮かばないなんて言えば、君はまた笑うのかな。






















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■敬愛する神サマ、棄ガロルさまに捧げさせて頂いた作品です。
死にネタでこんな沈んだ話を人様に贈るなんてあわわわ…_| ̄|○
快くお受け取りくださり、ありがとうございました…!(平伏)

秋。
秋らしさが滲んでいたら嬉しいなと思います、色んな意味で。