永遠








薄暗い階段を上っている。






埃っぽくて、灰色のコンクリートが剥き出しの、
どこか寒々しい印象を与える階段。





何か目的があるわけではなく。
どこかを目指すわけではなく。




ただ上る。




無意識とは違うのだけれど、
どこか浮遊感を感じながら。




ただ、上る。






ふと、この階段には見覚えがあることに気づく。




どうして分からなかったのだろう。






ここは事務所の階段だ。



毎日上り下りする階段。



周囲の壁も見慣れたコンクリートで。








そうして、ようやく気づく。



唯一の違和感に。








あかい。




あかい。






足元が鮮やかにあかく染まっている。



それはとても、濃厚な真紅。






階段を伝って、
おちてくるあかいろ。






幾筋もの痕を残して。









一歩上るごとに深さを増し、
その広がりを増す。







ピチャッ・・・と音をたてて、
その朱は靴の底を濡らし、
いよいよ広がってきた紅い水たまりに波紋を生んだ。








ねっとりと絡みつく紅に不快感を覚えながらも
何故か足は止まらず、
階段を上りきる。






あかい。


あかい。




あかい。






そこは、一面のあか。









事務所の扉を開ける。




真っ赤な部屋。



元の色なんて分からないほどの。


ただ、深紅の世界。






「ロージー」







その中心で倒れている体は。




あかく。


どこまでもあかく―――――。







その体にふれる。




生暖かい液体。


つめたいカラダ。




何て絶望的なコントラスト。








「ロージー」






呟く声はだれのものだろう。




渇いた声で嘲うのはだれだろう。







じわじわと尚も朱を滲ませるそのカラダに、
額を押しつけた。








あかい。




世界の全てがあかく染まる。






押し潰すような絶望が、
赤黒く、
胸を染めてゆく。














生きているということは、
階段を上ることに似ている。



ただ、死に向かう階段を上る。
それが生。





ならばせめて共に。





離さぬように、その時は、共にいこう。











「―――――!」




絡みつくような睡魔を振り払いながら、
オレは勢いよく体を起こした。



じっとりと背中にかいた冷ややかな汗を不快に思う余裕すらなく、
何度も深い呼吸を繰り返す。
動悸が激しい。
右手は無意識に胸元を強くつかんでいた。






なんだ、今のは。





一日のほとんどを寝てすごすこともあるが、
夢をみることはほとんどない。



みていたとしてもそれは残滓として意識の一部に留まるのみで。
今回のように、ハッキリと残る夢は初めてだ。
その細部に渡ってまで、思いだせる。





生温く肌にふれる空気。



鼻腔をつく生々しい血液の匂い。




抱き上げたロージーの、凍るように冷たいカラダ。





底の見えない闇に突き落とされるような絶望感――――――。





「・・・ロージー」

無意識に呟いて、ふと我に返る。


我に返って、周囲を見回す。



「ロージー・・・!」




いない。
いない。




・・・・・・いない。




ベッドからは室内のほとんどが見えるはずで、
でも見える範囲のそのどこにも、
捜し求める姿はない。



夕暮れ時。
この時間、いつもならばロージーは事務所にいて夕飯を作り始めているはず。



それなのに、自分の呼吸音以外に物音一つしない室内。







窓から差し込む西日が紅い。




紅く。


ただ紅い。




室内を紅に染める。



オレンジよりも紅く。


赤よりも深い朱に。





滲むように、染め上げる。











愚かな。



あんなのは、ただの夢だ。


夢ごときに翻弄されるなど、
愚の骨頂でしかない。




―――――それは分かっているはずなのに。






止められない加速度で、
心が焦りはじめるのが分かる。



カラダを内側から掻きむしられるような感覚に襲われて、
思わず口元を押さえる。




いてもたってもいられない。





焦る気持ちのまま、ベッドから飛び降りる。


「ロージー・・・!」






足をもつれさせながら、
ベッドからでは見えない場所を探す。






トイレ。



風呂場。



キッチン。





ロージーの私室―――――。







いない。



そのどこにも、彼の姿はない。










彼の気配の代わりに、
夕日はますます深さを増していく。




全て紅に染めていく。




あの忌まわしい夢のように。









勢いよく探しまわったせいで、
室内には埃が舞ってしまっている。




埃に軽く咳き込んで、オレは目を細めた。


事務所内を見つめる。









広い。





オマエ一人いないだけで、
こうも広く感じられる。





広くて。




広くて。



何だか、何をどうしたらいいのか分からなくなる。



ただ、途方に暮れる。









―――――あぁ。



これを『孤独』と呼ぶのか。











うなだれるように足元を見つめた。




それは、見えない膜に包まれるような、そんな息苦しさ。


肉体から魂だけすっぽりと抜け落ちてしまいそうな、
そんな感覚。


ふと、全ての存在の危うさに、泣きたいような気持ちになる。





「ロージー」













カチャ・・・と背後で控えめな音がした。
ほとんど無意識に、首だけで振り返る。




「あれ?ムヒョ、こんなところで何してるの?」


きょとんとした顔で立っているのは、
紛れもなく、探していたその姿。
買い物袋を手に提げて、いつもと何一つ変わらない姿で。



「ジャビン買い忘れてて、そこまで買いに行ってたんだ。」


「お腹すいたでしょ?夕ご飯作るからちょっと待っててね」


いつもと同じ笑顔で笑う。
屈託なく、買い物袋を持ち上げて。





「―――――ロージー」



いきが、とまるかと思った。



思考が理性が感情が、それらを繋ぎとめていたものが、
ブツブツと音を立てて切れていく。






「ロージー」



気づくと、ロージーの脚にしがみつく自分の姿があった。
ロージーの服の裾を、指先が白くなるほどに強く強くつかんで。
驚いたロージーの手が、荷物を床に落とすのを横目で眺めながら。



「む・・・ムヒョ?」


洋服ごしに感じるロージーの体温。
鼓膜を叩く、柔らかな声質に少し安堵する。





生きてる。



生きてる。





生きてる――――――。







ロージーからはあの死臭はしない。



ただ日だまりのような、優しいにおいがするだけ。





体が震える。



安堵で。







「ムヒョ―――――?」










オレらしくない。




こんなのはオレじゃない。





こんな情けない姿・・・。
ロージーじゃあるまいし。









ああ。


けれど。






もう例え夢の中でも、
こんな思いをするのはゴメンだ。



あんな、冷たい絶望なんて。







「オレから離れるな―――――」





どうか。



どうか。





頼むから。





何度だって、すがってやる。



だから、どうか―――――。










オレの世界は、いつだって曖昧なフィルター越し。



曖昧なばかりの世界で。




曖昧なばかりの心で。







ただひとつ、オマエだけが確かな存在だから。








だれも。




だれも、奪うな。





オレの最後の祈りを。













離さない。






共に、いこう。



どこまでも、共に。









その手を、離さぬよう、いつまでも。
















■ん?なんだろう、前にもこんな終わり方したような・・・?(ワンパターン)
あ、ちなみに『共にいこう』は、「生こう」と「逝こう」と「行こう」をかけてます。(謎)
暗いんだか何なんだか分かりません・・・おろおろ。

うん・・・何かムヒョだってロジにすがって生きてる部分があるんじゃないかなとか、そんな妄想ででうまれた作品です・・・・・・ご、ゴメンナサ・・・!(逃)