彼岸に、 咲いた ―――。


















夢、を見た。




夢の中でも眠っていたようなオレは、ゆっくりとその瞼を持ち上げる。
視界に広がったのは塗り潰したような暗闇と、
溢れて零れ落ちそうな紅、朱、赤、緋が、一面に視界を染め上げていた。





それは、彼岸に咲き誇る花。
死者を弔い送るための、紅。




「ロージー?」

いつも必ず傍にいるはずの名を、無意識に口にしてしまう。
言葉は届く相手を知らぬまま、迷い子のように彷徨って闇に溶け消えていく。



訪れる、しんと耳に痛いような静寂。




「いないのか…ロージー」

誰にともなく確認するように呟いた。
それに応えるものはない。





ついに。
ついにオマエもいなくなってしまったのか。



僅かに瞳を眇めて、朱と闇の境界を、探るように見据える。




それはそうだろう。
オレはあれだけアイツを踏みにじってきたのだから。


見返りを求めずに好意を向けてくる彼に、
それどころか突き放して、顧みることすらしてこなかったのだから。





微かな吐息だけ洩らして、俯くと、足元には揺れる花々。
















不吉な花だと、忌み嫌われることの多いこの花を、
アイツはどこで調達してきたのか両手に抱えて帰宅したことがある。




『オイ…。オマエ、それがどんな花なのか知ってんのか』
てっきり無知ゆえの行動だと思ったのだ。
迷信のようなものを信じるほうではないが、さすがに縁起が悪いと思った。






するとロージーはニコリといつものように微笑って、
『ん、知ってるよ。』と事も無げに言って、また笑った。



『…彼岸花だぞ?』
尚も腑に落ちず聞き返すオレに少しだけ首を傾げて見せた彼は、
大き目の花瓶にその花を丁寧に生けながら、『いいじゃない』と言った。





『だって、キレイなお花だもの』
変だよね、こんなにキレイなのに摘まれて捨てられちゃうなんて。



不吉だという理由で引き抜かれ道に捨てられた花を、
彼はキレイだと拾ってきた。


嬉しそうに、ほんとうに嬉しそうに。




少しだけ呆れた顔をするオレの前に、アイツは花を一輪差し出して笑う。
炎が静かに燃え上がるように、繊細にそれでもどこか力強く広がる花弁。
ニコニコと嬉しそうな彼と、その花とを交互に見比べて、
言われてみれば確かにキレイだ、と思って、けれどそうは言わず黙ってそれを受け取った。







足元で静かに燃え広がる紅。
闇の中でも沈むことないその赤を黙って見つめる。
黄金色のアイツの姿は、この焔のような花とは対照的なはずなのに、
どうしてか彼の眼差しを思い出させて、オレはゆっくりとその紅の中に身を沈めた。




















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ぼんやりと戻ってきた意識に、ゆっくりと両眼を開く。
ベッドに横たわったまま首だけで周囲を見回せば、
窓から差し込む紅に、時が夕暮れであることを知る。




窓ガラスの向こうには鮮やかなオレンジ色。
端の方はまだ青く、その狭間に薄紫色が滲むように広がっていた。
夕空に浮かびふわりと流れる白い雲。
寝ぼけたままの目で、無意識に追う。




そうして流れ行く雲につられるように、再びゆっくりと襲ってくる睡魔。
うとうとと何度か瞼を伏せかけて、脳裏に浮かぶ夢の残滓。
この空より深く、鮮やかな深紅の花々。







孤独な夢だった。
それはオレが常に望んでいるはずのこと。






いっそあの夢が現実で、あのまま覚めることない眠りについてしまえばよかった。
ひとりきり、燃えるような紅の中で。



ガラにもないな、と思う。
ただ…終焉が訪れる時は、一人がいい。
ロージーがいない場所で。








オレが死ねば、ロージーが泣く。
何よりもオレのみを視界に捉えるオマエ自身が、
オレを失くしたあとどうなるのかと、そう思えば胸がじくりと痛むから。







何も返してやれないようなオレのために、それでもアイツは泣くのだろうから。

















「ムヒョ、起きたの?」
声に、オレは伏せかけていた瞼を持ち上げて、
ゆっくりと体を起こした。




覗き込んでくる琥珀の瞳。
何となくそれを直視できなくて、すと視線を逸らす。
それには気づかないようにニコニコと笑って、
ロージーは何か紙切れのようなものを差し出した。



「…?」
反射的に受け取って、目を通す。
いかにも手作りくさい文字と、安そうな印刷のチラシ。
赤い縁取りに青い文字で、『納涼』と書かれている。







「……なんだ、これは」




一瞬きょとんとしたような顔のロージーはまた無邪気に笑った。
「花火大会。見に行こうよ、ムヒョ」






「断る」


「む、ムヒョ…」



迷わずチラシを放ったオレの手を握り、ロージーは必死の形相で食い下がってくる。
「行こうよー、せっかくのお祭なんだよ?」







「フン、知るか。面倒くせェ」
行くならテメェ一人で行って来い。



「ムヒョ…」




ロージーの目にみるみる涙が浮かぶ。
ひっくひっくと早くも嗚咽を洩らし始めたロージーに、
オレはあからさまに眉間を寄せて小さく呻くように悪態をついた。
尚も耳元で泣き続ける声に眉間を寄せて、深く溜息を吐く。





「ただでさえ暑いのにぐだぐだ言ってんじゃねェ、バカが」
言うと同時にベッドから飛び降りる。








「ムヒョ…?」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、怪訝そうにするロージーに、
着ていた寝巻きを放りながら
「付き合ってやる。行きてぇならとっとと準備しろ」
と舌打ちする。





火が灯るようにみるみる明るくなるロージーの表情に半ば呆れながら、
思わず口元に笑みを浮かべていた自分に気づいて、小さく吐息を洩らした。

















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透明な紫の空を流れる、朱を残した白い雲。
夜の帳が降りるまでの空はどこか幻想的で、
その色彩に不安をかきたてられる。




髪を涼やかな風がさらい、ロージーは気持良さそうに目を細めた。





道端には彼岸花。
まるで天然のランプのように、薄暗がりの道を照らしている。
吹く風にゆらり、ゆらりと揺れて、花たちもまるでこの涼しさに身を任せているようだった。




見物人が決して多いとはいえない小規模の祭。
人込みにはぐれる心配もなく、土手には家族連れや恋人などが集まり、空を眺めていた。
ところがロージーはそこで立ち止まる様子はなく、通り過ぎる。






怪訝に思い口を開きかけると、それを察したようにロージーはこちらを見る。
「いい場所、知ってるんだ」



「いい場所?」




ロージーはふふと笑って、内緒だよと言うように人差し指を唇にあてた。
「着くまでのお楽しみ」




そうして両手を後ろに組んだロージーは楽しそうに鼻歌などを歌いながら、
オレを見て微笑う。


















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土手を少し歩き、道沿いの小さな林に少し入ったところ。
「着いたよ」
立ち止まって、ロージーは嬉しそうに振り返った。





「……!」


そこは一面、紅の絨毯が敷きつめられていた。
闇の中に浮かび上がる紅。




広がるのは彼岸花。





それはまるで夢でみたあの景色そのままだった。






「キレイでしょ?」
どこか自慢げに笑う彼の背後でひとつめの花火が上がった。
闇に沈んでいた彼岸花が一瞬の光を受けて、浮かび上がる。





「前…僕が彼岸花持って帰ってきたの覚えてる?」



「あぁ」





嬉しそうに花を生ける彼の笑顔を思い出す。
そういえば生けた花はどうしたろう。



飾られているのを見た記憶がない。





「あの日…事務所に来たお客さんにね、僕怒られたんだ」
言いにくそうにロージーは、もじもじと指を腹の上で何度も組み直す。



「客に?」




うん、と頷いて彼はひょこりと首を傾げた。
「あれは別名“死人花”って言うから…そんな花飾るなんてどうかしてる、って」
思い出してまた悲しくなったのか、彼は少し眉を下げて泣きそうな顔をした。






「だから…君が寝てる間にね、ここに持ってきたの」



あの日に来た依頼主のことなどとうに記憶にはない。
けれどあれだけ嬉しそうに笑っていたロージーが
そんな風に踏みにじられていたことに、
ふつふつと腹の底から怒りが湧いてくるのを感じる。





「でも…でもね、この前ここに来たらこんな風になってて…!」



ぱっと顔を上げたロージーは嬉しそうにそこまで言って、
それから不安そうにまたうな垂れる。



「ムヒョも…このお花、嫌い?」



ロージーが気づかぬようなほんの僅か悩んで、呟く。
「いや、んなこたねぇ」





安堵したように頷いて、ロージーは空へと顔を向けた。
「花火、このお花みたい」

















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彼岸花の朱は、血に似ていると思う。
今にも滴らんばかりの生々しい朱。




墓場に咲くこの花を、オマエはキレイだと笑って慈しむ。




多くを愛し、生きるロージー。
受け入れれば受け入れるだけ、失くした時傷つくばかりだというのに。
それでもオマエはその中に救いを求めていくのか。







例えばオマエがこの花を見捨てなかったように、
オレへと結ばれている手が離れることはないのだろうか。




そんなことを、ふいに考える。















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地面を揺らすような音と共に、光が闇を照らす。




黒と見紛うような、濃紺の夏の夜空に浮かぶ大輪の花。
星降る夜のように鮮やかで儚げな輝きはまるで、夢の中にいるようだった。
そういえばこうして花火を見たのは久し振りだ。




それどころか、いつからか空を見上げることもなくなってしまった気がする。
進むべき道を見失わぬよう、足元ばかり見つめていた。
鼓膜を震わせる音と共に散る光は、
まるで星々が命を燃やす最期の瞬間のような輝きで、鮮やかに闇を彩る。
生まれてはすぐに消えていく光。




それはどこか命に似ている。
すぐに跡形もなく消えてしまうけれど、
ただそれでも必ずどこかに焼きついて残る輝き。









オレの隣で嬉しそうに天を仰ぐロージーの姿を横目で見つめる。
花火が上がるたびに、
手でも叩きそうな彼の顔は、光で鮮やかに照らされた。





「キレイだね、ムヒョ」


空を見つめたままのロージーを、オレは無言で見つめたまま瞳を眇めた。
「ロージー」






「ん、なぁに?」



オレといて幸せか、と聞きかけて口を噤む。
やめておけ、そんなことを聞いて何になる。





「いや…何でもない」



ふふと空気を吐くように笑うロージー。
「途中でやめちゃうなんて、ムヒョらしくないな」










それからオレの方に首だけで振り返る。
ロージーの背後に一際大きな光が舞って、
その眩さと消えていくその刹那の儚さに、ふいに胸が痛む。




「今日は一緒に来てくれてありがと、ムヒョ」





心底嬉しそうに笑うロージーは、幸せ、と小さく呟いた。











どうして。
どうしてオマエはそうやって笑う?




オレの置かれている状況。
オレと共に歩む道のその苦難。
言うなれば絶望的なほどに死と近いのに。







オマエはそれを知ってるだろう。


オレといても何も返ってきはしないことを、
オマエは知っているだろう?










「テメェの幸せは、随分と軽いんだな」



肩をすくめるオレに、ロージーはきょとと目を見開いた。
「どうして?」






「だって、君と一緒にいられたら幸せだよ」
そう言って笑う彼の瞳に迷いは見えない。
















花火も終盤に近づいてるのだろうか、
夜空に立て続けに朱色の大輪を咲かせる。



天にも地にも咲く彼岸花に、夢で見たそれを思い出す。
鮮やかに燃える花。
花の中にひとり立ち尽くし、眠りを望んだ。






視界を染めるその彩りに、なぜか泣きたくなる。
死など怖くはない。
あの空の光のように、ふいに消えてしまったとしても、
それでも構わないと思っていた。







ロージーもいつかこんなオレなど見限って、消えていってしまうだろうから、と。













「バカか、オメェ」
俯いて呟く。



バカめ。
ついてくるっていうのか。
こんな状況なのに幸せだと言い切れるのか。



オレは、オマエに何もしてやれやしないのに。




見上げると、ロージーは笑ったまま、オレの手をとった。
いつもは振り払う手を、なぜか振り払えない。













足元の彼岸花に目をやる。



この場所…。
ロージーが生んだこの花畑はオレが見た夢そのまま。
もしもオレが死んだなら、ロージーはこの場所で一人泣くのだろうか。



そう思って、ズキリと胸が痛む。




早く。
早く、今のうちに。
ただ離れてしまえばいい。
そう思う心はまだ深く根を張っているというのに。






オレより弱いはずのコイツの存在に、
オレはどこかで救いを求めているのだろうか。







「ロージー」
呼びかけると彼はいつもの笑顔を向けてくる。





とめようもなく心に広がる安堵。

あぁ、紛れもなくオレは、コイツの存在に救われている。





離せない。
もう、離せない。













光が降ってくる。



ふいに、泣きたくなった。







死にたくない。


死ねるか…コイツを置いて。








コイツが笑わない世界など、知りたくはない。




















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「また来年も来れるかな」




ゆっくりとした歩調で土手を歩きながら、
握ったままの手を揺らしてロージーはそう言った。
花火が終わって訪れた静寂に、ただ虫の鳴く声と、砂利を踏む音だけが鼓膜を叩く。




道端には鮮やかな彼岸花。
闇の中でも沈むことなく、道を示すような花々。










「彼岸花、キレイだね」
あの日のように呟いて、ロージーは笑った。



変わらない。
何があっても、こいつは変わらない。





どんなに傷ついても、
どんなに見たくないものを目にしても、
散々泣いて、傷ついて、それでもまたこうして笑うのだ。




悲しみも痛みもなど知らないような、そんな顔で。












「また、来年も付き合ってやるさ」





言葉にしてしまえば、ただそれだけだけれど。


「約束、だよ」
ロージーがふわりと笑って言うから、ただ一途に果たしてやろうと思う。










『彼岸花の花言葉はね、“悲しい思い出”なんだ』
あの日、コイツはそう言っていた。





「今日は、楽しかったか?」


「うん…ッ」
嬉しそうに幸せそうに頷いたロージー。





オレはもしかすると明日にでも死ぬかもしれない。
それでも、コイツに暗澹たる未来は残したくない。



摘まれた花が、踏みにじられた花が、
それでも美しく世界を彩り、心奪うように、想いを繋げていけるだろうか。





今日こうして笑ったことが、悲しみになど変わらぬように。














繋がった手が暖かい。
無意識に夜空を見上げた。
紫紺が両手で抱えられないであろうほどに広がり、
無数の星は零れ落ちそうなほど溢れている。




飲み込まれそうなその広さに不安になりロージーを見ると、
同じように空を見ていた彼も視線を落とし、
にこりと微笑った。









静かに、風が吹きぬける。



視界の隅で彼岸花が音もなく揺れ、
落ちてくる闇に深紅に染まるその色彩が、じわりと瞳に沁みた。

























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■ムヒョロジ祭さまに参加させて頂いた際の作品第一弾。
お題「死にたくない」です。
少々、消化不良気味なのが反省すべき点です。