虹。










白く朝靄の霞むある日、僕は気づくとそこにいた。





吸い込む空気はひんやりと冷涼で、
薄く張った氷のような繊細さで、白い微粒子が立ち込めている。

明け方の空は白く霞み、
ほんの少しの陽がその合間から顔を覗かせながらも、
滴と呼ぶにはあまりにも繊細な雨の露が
しとしとと静かに空気を湿らせていた。
足元のアスファルトも、まだ水を染みこませたまま、
陽を浴びてキラキラと輝き煌めいている。
微かに風が頬を撫でて、僕はほんの少し目を細めた。



空気がとても優しい。
振り下りた露がそっと額に触れ、睫毛にその滴は留まる。
それは瞬きをする内、肌に吸い込まれるように消えていった。



なんとなく、キョロ、と辺りを見回す。
人影のないひっそりとしたまだ眠りの中にある街。
まるですべて死に絶えてしまったかのような静かな街は、
呼吸を忘れ眠り続けるお伽噺のお姫様のよう。
そんな中、ある姿を見つけた。
それはとても美しく主張する蜜色の髪。
さわさわと風に揺れるその柔らかさは、思わずふれてしまいたくなるほど。



見覚えのあるあの後姿は・・・。
僕はそっと唇だけで笑った。
今ならいとも容易く散らしてしまうことができる。
めずらしくその傍に、憎むべき姿はなく。


あぁ、バカだね。
手を放すなんてさ。




ゆっくりと急ぐでもなく歩を進めて、右腕をそっと胸の高さまで掲げる。
白い長衣の裾がふわりと風に浮いて、
そこから何か得体の知れぬものが浮かび上がった。
それは黒くも見え、白くも見え、そして灰色で。
形もなくふわりとしていて、煙のようでいて固体のような。
それ、が完全に姿を現すその直前、ふと微動だにしなかった蜜色の髪が振り返った。
僕はナゼか、反射的に手を引いてしまい、自身の思いがけない行動に戸惑う。



振り返った明るい琥珀の持ち主は、僕の姿をその澄んだ目で捉えて。
まるで親しい誰かに見せるような表情で、ほんとうに自然に、柔らかく微笑んだ。
「こんにちは。」
穏やかな表情と同じく・・・否、それ以上に穏やかな声で。




その表情に、ほんの少し安堵して首を傾げる。
目の前の彼は笑顔を崩さない。
しばらくの間・・・と言っても、少しだけ長い瞬きをするくらいの長さだけれど、
僕はどうするべきか悩んで、どうすべきかよりもどうしたいかを優先することにした。




にこり、微笑を返す。
「こんにちは」



嬉しそうにもう一度蜜色の彼は
「朝は気持ちいいですね」と笑う。
だから僕も「ほんとうに」と返した。




しばらくそうして黙って、空から落ちる滴が瞳に触れたのか、
彼は細くて繊細な指で目を数度擦った。
「大丈夫?」
頷いて肯定する彼の髪には幾粒もの透明な滴が煌めいていて、
それが宝石みたいでキレイだと思う。



「何を・・・見ていたの?」
僕が後ろにいるのも気づかず、何かを一心に見ていた彼。
何にあんなにも魅せられていたのか気になった。
またふわりと笑い返される。
その笑顔に似たものを、僕は今までにも見たことがあるような気がする。
けれどそれは寸でのところで記憶の縁に引っかかり、思い出せない。




「虹、です」


指差す先には、ああ確かに七色の架け橋。
まるで幻の中に佇んでいるのだと思った。
霞む空気の中で、鮮やかな虹と、そして柔らかな彼と。
久し振りに穏やかに眠れそうな、そんな静けさが心に訪れる。


「キレイだね」
そう言った僕に、彼は夢見るように言った。
「虹の袂に辿りつけたら、願いが叶うんです」



「・・・願いが?」

「そう。こんなにキレイなものなら、ほんとうに願いを叶えてくれるかもしれない」



やはり夢見るような眼差しは、透明でどこまでも澄んでいたから、
僕にはその言葉がほんとうのことのように思えた。
もう一度、空に架けられた橋に視線を戻す。





虹。
なないろの、ひかり。


青みを増してくる空の中で、鮮やかなアーチを描く。




僕は虹に導かれるよう、歩き始める。
「どこへ行くの?」
後ろから掛けられた言葉に振り向かず、
「そうだね・・・、虹をさがしに・・・」



もうその表情は見えないのに、
なぜだか後ろで彼が微笑んだのを感じた。

「見つかるといいね」
その声に僕は小さく頷いて、微笑った。









虹はゆっくりとゆっくりと、陽の光にかき消されるように消えていく。
あぁ、手を伸ばせばこんなにも届きそうだというのに。
キレイな僕の七色。
今にも消えてしまいそうに霞む。



知らず駆け足になって、浮かぶ汗も冷たい空気に冷やされてすぐに消える。
虹。
鮮やかな唯一の色彩。
虹の袂で、僕は願いを叶えるよ。
そうしたら、ねぇ、また君に会える?



立ち止まって振り向いたその向こうに、蜜色は見えない。

キレイだった。
この朝露に濡れる虹色よりも、君はキレイだったと思うよ。







「また、会おうね。」















*ロジとまどかたん。
まどかたんとロジは普通にお互い打ち解けそう。
まどかたんが現れても、笑って受け入れるロジであればいい。
と言いますか、ロジとエンはまだ直接の顔合わせしてません・・・よね・・・?
そんな設定で書いたけど・・・だ、大丈夫かな・・・ドキドキ。