灯火。








束縛しているのは、オレのほうだと思っていた。




オマエを捕まえたのはオレのほうだと。
オレの一挙手一投足にいちいち反応するオマエの姿は
どこか滑稽ですらあって。



オレを嫌い、敬遠する人間がほんとんどの中、
オマエの反応はとても新鮮で、
だから見ていて飽きないというのもあったかもしれない。


最初は、まぁ、犬っころを飼うくらいのキモチで、
オマエを傍においた。
いろんなことにちょっと疲れてもいたから、
そんなオレにオマエはちょうどよかった。




けれど、ある日ふと気づく。

心臓のもう少し深いところに、
得体の知れないもやもやが生まれていた。











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オレの8割は不機嫌でできていると思う。




最近は特にひどい。
気がつけばほんの些細なことでイラつき、
眉間を寄せるオレは、今日も朝からとてもイラついていた。



理由はなんだったろう?

不愉快な夢を見た気もするし、
近所での朝っぱらからの工事の騒音かもしれないし、
そんな気分なのに外はやたらと晴れていて、
それすらも癇にさわったのかもしれない。




昔から発火点の低いオレはそれでも、
イライラを抑えるように気をつけてはいた。
けれどどろりと濃厚に積もった苛立ちはチリチリと燻ぶり、
火が投入されるのを今か今かと待ち伏せているようだった。





マズいな、と思う。

思いながらもそれを止められないオレは、
人間的にどこか欠落しているのかもしれないな、とふと自嘲的に思った。




こんな時は寝てやりすごすしかない。
ロージーが用意した朝食をひとまず腹にいれてから、
またベッドにもぐりこもうと思った。











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発火の瞬間は些細なこと。
けれどそれは思ったよりも早く訪れた。
導火線に散った火花は、急速に爆発へと歩を進める。




「オイ・・・この玉子焼きの味はなんだ?」

オレは叩きつけるように箸を置いた。
目の前でもくもくと口を動かしながら、
「え?」とロージーはきょとんと顔を上げる。



「え、じゃねぇだろ。甘すぎるんじゃねぇか?」

「あ、うん・・・、お砂糖いれすぎちゃって」


ごめんね、と苦笑いする表情に
いつになく怒りがヒートアップするのを感じる。



マズい。 
マズいマズいマズい。
心で警鐘が鳴るのが聞こえる。




「食えるか、こんなの」


あぁ、もうやめておけ。
思えど、言葉だけが勝手に流れ出す。
流れ出した言葉は、止まらず、もう戻らない。



「ちょっ・・・、そんな言い方・・・!」

「口答えすんな」


抑制のきかない自身にも同時に苛立ちをつのらせ、
そう思うことにまた苛立ちを感じる。


もう、止まらない。


「ムヒョは自分勝手だよ!」
ロージーがついにテーブルを叩いて立ち上がった。


「フン。悪ぃかよ」

「ムヒョは・・・ムヒョは・・・僕のこと、嫌いなの?」


俯いて、途端に弱々しくなるロージーの姿に、
とらえどころのない思いが胸にどろりとたまるのを感じる。




なんだそれ、と思った。
キライか、スキか。
そんなの考えるような間柄だったか、オレたちは。


いつの間に?
少なくとも、オレは違うだろう?





オレは肩をすくめて唇だけで笑った。
「さぁな、どうでもいい」







言うが早いか、室内にピシッと鋭い音が響き渡った。
なんだ、と思うと同時に左頬に鈍く熱いような痛みを感じて、
平手で叩かれたことを知る。


流石に呆然としてロージーを見ると、
彼はその蜜色の眼差しを揺らせながら、
オレを睨みつけていた。



「・・・は・・・ッ!てめ、オレに平手食らわすとはいい度胸だな、おい」

凄まじい形相であろうオレに珍しく怯むこともなく、
ロージーは「バカ!」と叫んだ。
ついにその目からは大粒の涙がとめどなく溢れ、
テーブルに僅かなシミをつくった。




「ムヒョなんか、キラい!大ッ嫌いだもん!」
最後の方は泣きじゃくっていて、何を言ってるのか分からなかった。



「勝手にしろ」
オレが背を向けたのとほぼ同時に、ロージーは自室に駆け込んだ。




施錠する音が気こえて、オレは尚も痛む頬を押さえながら、
椅子に座り足を組む。
ふとロージーの涙の染みが目に入り、指でつとなぞってみる。
それはまだ温かく、ナゼだかまたももやりとした思いが込み上げ、
オレは眉を寄せた。





食べかけの朝食のテーブル。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、部屋は静かだった。











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捕まえているのはオレのほうだ。
問われれば迷わずそう応えることができるだろう。




ならばどうしてこんなに苛立つ?
どうしてこうも、アイツに乱されなければならないのか。


よく、分からない。
昔からずっと感じていた不可解な思い。
そんな思いは初めてで、どうすればいいのか分からない。





ただ、“大嫌い”と言われた言葉がやたらと耳に残っている。










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それから一日経っても、
ロージーは部屋から出てこようとはしなかった。




アイツは部屋に大量の菓子を置いていたはずだし、
食料には困らない。
けれどこんなにも長時間彼が姿を見せないのは初めてだった。


オレはまたイライラと、指でテーブルを叩いていた。
時計を眺めては、昨日から放置されたままの朝食の残りを見つめる。



なんでオレはこんなにアイツのことが気になるんだ。
何も手につきやしない。




静かに、もう何度目になるのか分からない溜息を吐いて、頬杖をつく。
陽はいつの間にか傾き、窓から見える空は
朱から薄紫へとその色を滲むように変化させていた。





誰にともなく舌打ちして、
オレは事務所内を居場所を探すようにうろうろと歩き回った。
歩き回った挙句、我に返ってはそんな自分に腹が立ち、
それの繰り返し。
「ロージーの奴、いったいいつまで閉じこもる気だ・・・!」




そうしてふと、気づく。
部屋の空気が軽いこと。
寒々しくもなく、かと言って温かさを感じるわけでもなく。
においもしない、感触もない。


そう感じさせるのは、何故だ?




いよいよ苛立ちはピークに達しようとしていた。
そもそもどうしてオレがロージーの行動にストレスを感じなければならないのか。
オレは魔法律書を引っ張り出すと、そのままロージーの私室に向かった。











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「おい、ロージー。オマエいつまでそうしてる気だ」



ドアに向かって話しかけるも返事はない。
元より返事を期待していなかったオレは、黙って魔法律書を開いた。
「入ってこないで!」
気配で気づいたのだろうか、微かにロージーの声が聞こえる。



オレはそんなのは意に介せず、本に目を落とした。
「魔法特例法第8項により、『施錠解除』を発令する。」
淡い光を放って、魔法律書は忠実にその命令を実行した。








開いた扉の先では、ロージーがベッドに伏せていた。
「おい」
声をかけると、ゆっくり顔を上げる。


「ムヒョ・・・」


一晩中どころか、ずっと泣いていたのだろうか、
渇かぬ滴が目の端から零れて落ちた。
薄暗い部屋で蜜色の瞳は朱がかった琥珀に染まり、
その目に見つめられ、ふいに胸が苦しくなる。



なんだ、この気持ちは?


「どうして入ってくるのさ・・・」
唇が震えて、ぽたりぽたりと新たな滴は頬を伝い零れ落ちた。

ずっと泣いていてカラダに力が入らないのか、
引きずるようにオレの足元に来る。
「ムヒョ・・・」
そうして立ち尽くしたままのオレの脚にぎゅとしがみついた。




「ばか・・・ばか、ばか、ばか・・・ッ」
ひどい涙声に、オレは顔をしかめる。


「何言ってんだか分かんねぇよ」


ぐすぐすとしつこく泣きじゃくる、彼の小さなカラダ。
見下ろすだけではさらりとした蜜色の髪しか見えなくて、
しばらくそうして震えるロージーの肩を見つめていた。
「いつまで泣いてんだ、バカ。オレが話せねぇだろ」



ゆっくり屈んで、その肩を抱きしめると
すがるようにロージーの腕が首の後ろに回された。
「ムヒョのばか、ばか、ばか・・・ぁ」



「分かったから・・・泣きやめ、いい加減」

「ぐすッ・・・ムヒョは何も分かってないもん・・・」

「あ?何がだよ」



オレの反応はどうやらマズかったらしい。
また派手に泣き出すロージーに溜息をついた。
どこからこんなに大量の涙が出てくるのだろう。
彼の目から溢れる滴は枯れることを知らず、零れ続ける。



「さ、さみしかったんだから・・・ッ・・・」

「勝手に部屋に閉じこもったんだろが」


「ムヒョなんかキラいキラいキラい・・・!」


こぶしで胸を叩かれる。
なんて弱々しくて小さな手なんだろう。
その手を捕まえると、ロージーはオレの目を覗き込んでくる。


「僕のこと、どうでもいいなんて、そんなのやだよ」


あぁ、昨日の朝のことを言ってるのか。
「そんなこと」と言いかけて、
覗き込むロージーの目が真摯なのに気づいて口を噤む。
琥珀色は時々涙で揺れながら、それでもオレを捉え続けていた。


黙り込むオレを見つめて、
ロージーはふと視線をそらした。



「ムヒョ・・・まだ怒ってるの?」



どくん、どくん、と鼓動が早まる。



「ごめんなさい」
かすれた声で繰り返す。
涙で濡れる瞳が、澄んだ水面を覗きこむようで、
こんな状況なのにとてもキレイだと思った。



「ごめんね、ムヒョ・・・」




ふと目が覚めたように唐突に気づいた。
ロージーから目を離せなくなっている自分に。



捕まった、と。
そう思った。






「どうでもいいと思ってたら、とっとと追い出してる」
ロージーは僅かに息を呑んで、うんと頷いた。











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抱きしめるカラダは細く弱々しかった。


「ムヒョ、ごめんね。ほっぺた痛い・・・?」
上目遣いに見上げてくる目は、常にオレを苛立たせる原因だった。
この目で見られると、もやもやとして、いたたまれなくなった。



「たいしたことねぇよ」

「うん・・・」




捕まえたと思っていた。
コイツを束縛しているのは自分だと。


だから、ロージーの声だとか眼差しだとかに心揺らす自身が
無性に許せなかったのかもしれない。
だから苛立つことで、その感情を無視しようとした。



「情けねぇ・・・溺れてるのは、オレの方か」

「え・・・?」

「なんでもねぇよ」


瞳を眇めてロージーを見つめると、
彼は安心したのかうとうとと目を伏せていた。





ロージーに会うまで、オレの世界はどこか褪せていたように思う。
昏い、ただ薄暗がりの灰色の世界。


その中でひとつひとつ灯りをともすように、
コイツはオレの傍らでいつも笑っていた。





「ムヒョ・・・」
目を伏せて、夢うつつのままロージーが言葉を紡ぐ。



「大嫌いなんて、嘘だよ」




ほんの僅かに目を見開いて、オレは思わず苦笑した。
「分かってる」
そう返事を返しておきながら、
ロージーの言葉に安堵する自分を見つけたからだ。






始めはただの好奇心だった。
どこまでオレを楽しませてくれるかと。






今は驚きでいっぱいだ。
オレはどこまで、オマエに変えられていくのかと。



















■スランプすぎて泣きたくなります・・・orz
しかし玉子焼きの味付けでこんなに怒る人ってどうなんだろう、人として
長い上に支離滅裂なものをつくってしま・・・った・・・(吐血)
そして今更、ロージーの瞳は琥珀だの蜜色だのじゃないことに気づきました(痛)

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*6/20 中井茉莉さまからイメージイラストを頂いてしまいました…!
ほんとうに繊細でキレイなイラストで…幸せすぎますー!(感無量)
沈んでいたページが一気にヒカリを放つようだ…!(愛)
ほんとうにありがとうございました…!