そこはひどく寒々しい部屋だった。
どこがと問われれば、あくまで漠然とした印象でしかないのだが、
ただその部屋には温度が感じられなかった。



天井には下品なほどではないが、それでも豪華すぎるシャンデリア。
マホガニー製の重厚なデスクと、本棚は沈むことなく堂々と赤い絨毯の上に鎮座している。
調度はどれをとっても立派なものばかりで、それだけなら華やかすぎるほどだというのに。




そこの空気は軽く、寒々しく、人の温度が感じられない。




壁際の天井にまで届きそうなほど大きく、真ん中を木枠で仕切られた両開きの窓は、
まるでどこかの城にでもあるような、洋風の趣のある造りになっている。
両端には豪華すぎるほどの金糸で縁取られた柘榴色のカーテンがあり、
今は半分閉められた状態だった。






「ここは…変わらないね」



物思いに耽るように机の端を指でなぞっていた宙継はそう言って、静かに笑った。
カツリカツリと靴底を静かに鳴らして、ゆっくりと革張りのチェアーに腰を下ろした。
キィと椅子の軸が僅かな悲鳴を上げて軋む。
豪奢な部屋にはそんな音すらも不釣合いなことなく馴染んだ。




「いつ…あなた様がお戻りになられてもいいよう…ここの管理だけは私めがさせて頂いておりました」



スーツの男は低くよく通る声で言い、頭を垂れた。
その言葉に何かしらの思いも抱かぬ様子で宙継は「そう」と短く呟いた。





そして男は僅かに躊躇うように主人に声を掛けた。


「あなた様のお母上も…亡くなる寸前までずっと…あなた様がお戻りになるのをひたすらに待っておいででした…」



「あの女の話はするな…!」





バン!と強く机を叩いて宙継は突然立ち上がった。
その勢いに、椅子がその優雅さに不似合いな音を立てる。




「しかし宙継さま…!」


「くどいよ…あの女のせいで僕と六氷がどれだけ…!」




そこまで言って宙継は我に返ったように口を噤んだ。
自らの感情に戸惑うように神経質なまばたきを数度繰り返して、短く吐息する。
ふらりと倒れるように椅子に腰掛けて、宙継は思い出しかけた何かを抑えるように首筋の傷に指を這わせた。
凄惨な何かを予想させるような傷は白く、醜く、彼は僅かに唸って首を振った。




「申し訳…ございません…」


押し殺した男の謝罪の言葉の後、部屋には重苦しい沈黙が横たわった。
頭を垂れたまま、ただひたすら主人の次の言葉を待つ男の眉間には、僅かな皺が寄っていた。












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教室はその日の朝、いつにも増してザワザワとざわめいていた。
誰もがある話題に持ちきりで、知らぬ者がいれば知っている者はまるで
その話題がさも貴重で重要なことのように、こぞって我先にとその話を持ちかけた。
次郎も例外ではなく、彼も教室に入った瞬間何人かの生徒に囲まれるようにしてその話題を知る者となった。




どうやら長らく海外に行っていたこの学園の若き理事長が戻ってくるとの事。

その理事長はとても美しい青年らしい。
話せない言語はないらしい。
この学園以外にもいくつかの事業を手がけているらしい…。


噂は話題に乏しい学園生たちの好奇心により、どうやらかなりの尾びれ背びれをつけているようだった。






次郎はいくらなんでもどうしてこんなに噂になっているんだろうとちょこんと首を傾げた。
その様子を目敏く見逃さなかったある生徒が、まるでとっておきの秘密を語るように、声を潜めて次郎に耳打ちした。
「その理事長、英語担当でさ、うちのクラス受け持つらしいんだよ」
どうして理事なのにクラス担当までするんだろう、とそう出掛かった次郎の疑問はチャイムの音でかき消された。



みんなが慌てて席につく頃、教室の扉がガラリと開き、全員の視線が一点に集中する。
入ってきたのはいつもと変わらぬ様子の六氷と、スッと背の高い青年。
六氷の横に立ち、静かに微笑むその姿は噂と寸分違わず美しかった。


六氷とはまた趣の違う端正な顔。
病的にすら見える白い肌は透けるようにすべらかで、
肩より少し長めの髪は光の加減で時折銀色に輝き、瞳は静かな湖の水面を見るように穏やかだった。






「こいつは…」
と、紹介しかけた六氷の言葉を右手で制して青年は口を開いた。
「いいよ、自分でするから」




くだけた様子の二人の会話に教室が再びざわめく。
一体理事長とうちの担任はどういう関係なんだ…、と。
そのざわめきも青年の発した声に自然と静まる。



「僕は円、宙継。みんなも知ってるように学園の理事長をしてる。…ここにいる六氷とは幼馴染の仲だったりもする」
一拍置いてふと彼は微笑んだ。
「そしてこのクラスの英語を担当させてもらう予定なんだ。…みんな、よろしくね。」





そうして彼はそのまま歩き出すと、ある場所で立ち止まった。
「やぁ」




ぼんやりとしていた次郎はその声で我に返った。
「あ…」
次郎の目に間近で宙継の姿が映り、そしてそれは同時に数日前の記憶を呼び覚ました。
「あなたは…」






「また、会ったね。」



宙継は優雅に微笑み、教室はこれ以上ないまでにシンとする。
六氷でさえ驚いたように双眸を僅かに見開いていた。



その日、次郎はこれまでの人生にない程に、生徒たちの話題の的となった。