彼岸花。








痛みは痛いと認識するまで気づかないもの。




そこら中に落っこちてる痛みを拾って、
それからようやくその痛みに気づくなんて、
なんて僕らは不器用な生き物なんだろう。



なんでもないことに傷ついて、
痛みを知って、
悲しいなんて思って。


そうして笑って、
また傷は深く抉られていく。













真紅の滲みが、まるで迷う誰かへの道しるべのように
夜の闇に沈む冷たいアスファルトに続いている。




ひとつ。


ふたつ。


みっつ。



幼い頃、数を覚え始めたときのように、
無意識にそれを数え歩いた。




よっつ。


いつつ。


むっつ・・・。



染みは大きいもの、
小さいもの、
それでもその紅は褪せることなく、
眼球を通して脳裏に焼きついた。








「ムヒョ、大丈夫・・・?」


紅を落とし歩く小柄な背に声をかける。
黒い執行服を着ているせいで目立たないけれど、
目を凝らすとその肩口から腕にかけてが深紅に変色しているのが分かって、
僕は思わず目を逸らした。



大丈夫なわけがない。
こんなにも出血していて、
その痛みはどんなにカラダを苛んでいることだろう。


大丈夫かなんて愚かな問いを放って、
僕はただ自身の気を楽にしたいだけなのだ。











霊に襲われた僕を庇ったムヒョ。
依頼の内容は難しいこともなく、
霊もそんなに強い相手というわけでもなく。
僕さえもっとしっかりしていれば、
ムヒョが傷を負うことなどなかった。



どうして僕なんかを庇ったの?
庇うのは助手の僕の役目なのに。
執行人が助手を庇うなんて。



僕を襲った閃光。
その白さに目が眩んで、足も竦んだ。
来るであろう痛みを覚悟して歯を食いしばる僕に、
けれどその瞬間は訪れはしなかった。
恐る恐る目を開ける僕の前で、
苦痛に眉間を寄せるムヒョの姿。



『こんな時によそ見してんじゃねぇよ・・・カスが・・・』


そうして笑って、再び霊に向き合うムヒョ。
執行服が翻り、真紅が散った。
肩に、熟れた柘榴のようにパックリと割れた傷が見えて、
僕は言葉を失った。











朱を滴らせること以外はいつもと変わらぬムヒョの後ろ姿。
滲み続ける液体を吸った執行服は、
強い風にも翻ることもない。
そんな姿に、僕はまた愚かな言葉を吐いてしまう。




「ムヒョ・・・痛い?」


「たいしたことねぇよ」




月のない夜。
闇が重たいと感じるのはどうして。



心に重くのしかかるものは、
多分、罪悪感だけじゃない。






「どうして僕なんか、庇ったの・・・」


ひとつふたつと地面に跡を残す染みを数えるたび、
心に渦巻いた疑問を吐き出す。
ムヒョに向けたのではないのかもしれない。
誰に向けられるわけでもないのに、
ただどうしてと、それだけが溢れ出る。





「別に。テメェは泣き虫だからな、泣かれても迷惑だと思っただけだ」


歩を緩めることなくぶっきらぼうに言い放つムヒョ。
泣き虫だと言われたばかりなのに、目頭がじわりと熱くなる。
夜風の冷たさが、熱い滴の温度をすぐに奪っていく。




「・・・痛い、よね」
もう一度呟く。


「痛くねぇっつってんだろ」



気づくと立ち止まっていた。
足元の影と、その中の赤黒い染みをじっと見つめる。
そんな僕に気づいて、ムヒョも立ち止まる。
振り向いたその顔はいつもと変わらない。





「傷痕・・・残っちゃうかな・・・」


「さぁな。どうでもいい」



表情は変わらない。
どうでもいい、そう呟く言葉と同じように、
自らの傷にさえも無頓着な彼。




「どうでもよくなんかないよ・・・」



どうでもいいなんて、言わないで。
自らが汚れることも、
傷つくことも、
朱にまみれることも。
それら全てを厭わないなんて、かなしすぎるよ。



生きることも、
死ぬことも、
未来も、
なにもかもどうでもいいと。



そんな風に笑わないで。




「いやだよ、僕は・・・」


君が血にまみれるのも。
傷つくのも。

どうでもいいと、笑うのも。


僕のせいで、君が傷つくのにも。




「オメェのカラダに傷が残らなけりゃ、それでいい」



意味深にニヤリと笑うその姿。
その意味に僕は一瞬頬を赤らめて、
それからすぐそのコトバの真意に気づく。



僕を、気遣ってくれているのだと。










どこまで。


ねぇ、どこまで。


どこまで僕は君に守られているというの。





弱い僕。


君を守れる力の何一つも持っていない僕。



僕は何て、弱いんだろう。


どうしてこの手は、
大切な唯一の存在を守るにさえ足りないの?











「・・・いやなんだ」


「あ?」



もう、守られるだけは嫌なんだ。


君が傷つくこと。
弱い僕を庇うのも。







このままじゃ、

僕の存在が、

いつか君を殺してしまう。












蒼い風が、街灯の淡い光を奪うように通り過ぎる。
まるで彼岸の季節に咲き誇る紅い花のように、
ムヒョのカラダからぱたぱたと滴が散った。



闇夜に溶けるように、
それでも深紅を纏う姿は、
紅い花それ自体に似てるなんて、
そんなことを思った。





「君が傷つくの、もうこれで終わりにしよう」


君は強く咲き誇って。
折れそうな僕も、君のそばで寄り添うから。





「フン。そうなればありがたいがな」


瞳を眇めるムヒョ。





僕は弱いね。

とてもとても。



でも、大丈夫だよ。

弱いなんて言葉に、もう甘えたりしないから。


君を守るよ。

這ってでも、僕は君についていく。

僕は、僕のために、何度だって立ち上がる。



誓うよ。











濃紺の雲の隙間から、
蒼く光る月が現れ、
僕らの痛みをその光で洗うように照らし出す。




ふと、ムヒョが僕の手にふれた。
柔らかい手。



ゆっくりと、強く握られる。




君が行く道に、どうか困難のありませんよう。
どんな苦難も、それを進む彼を、僕が守り生けますよう。










祈りながら、その細い指をそっと握り返し、そして願う。




僕が生きる中で、唯一の花が君であるように、
君の中に在る僕が、君にとっての唯一でありますように、と。
















IRBMのコンさまから素敵イラストを頂きました・・・!
わたしの小説をイメージして書いてくださったとのことですが、
ステキすぎてどうしよう・・・!
ほんとう輝いています!
コンさまの描かれるムヒョロジがたまらなく大好きです・・・!
ありがとうございました・・・!(最大愛←迷惑)



■彼岸花は好きです。
ほんとうにキレイな紅の花は、まるでムヒョみたいだとか思って書きました。
一番好きな紅です。