色のない世界。








エンチューと会ってからのロージーはどこかおかしかった。








何かを思いつめたような目で窓の外をみつめていたり、
そうかと思えばやたらとてきぱき動いて、
部屋の一斉大掃除などを始めたりするその姿は、
不自然としか言いようがなく。





いつもの二割増くらいの威力でとんでもないミスをしたりもしていて、
よっぽどどうにかしてしまったんじゃないかと思ったくらいだ。










そして今も、机の整理をしていたはずの手は止まって、
何もない一点をただぼんやりと見つめている。





心ここに在らずもいいところで、
オレが見ているのにも気づかない。




まるで夢遊病者のようだな・・・。





いくらなんでもこのままの状態が続くのでは、
いろいろと面倒だ。





そもそもこうなって一週間、コイツが一体何枚の重要な書類を紛失して、
何枚の皿を割ったか分からない。
一度なぞ包丁を手にしたまま何もない場所で転んで・・・、
危うく大惨事になるところだった。



皮肉たっぷりに叱ってやったのだが、
それすらもろくに聞こえてないような顔をしていて、
滅多にないことだが、オレの方が呆れてしまい、
説教を途中で投げ出してしまったほどだ。






ほっとけばその内戻ると思っていたが、
一向にその気配がない。











「おい」






まだ机の前で固まっているロージーに声をかける。


当然だが一回では反応しない。
腹が立ったので傍にあったティッシュ箱を投げると、
命中こそしなかったものの、ようやく我に返る。





「・・・え、ゴメン・・・。何か言った?」
どうやら真剣に言っているようで、
オレは盛大にため息をついた。
思わずイライラとつま先で床を叩いてしまい、
ロージーの間の抜けた様子に、
語調も荒くなってしまう。






「何なんだ、最近のオメェは・・・!」



オレの声に、いじけたようにも見える表情で一瞬顔をあげ、
また伏せる。



「・・・・・・なんでもないよ」





そう言って黙ってしまったロージーに、
少々苛立ちながらも、オレはイスを引っ張って、
彼の正面に座った。





「オレに遠慮してどーすんだ。いいから話せ」





仏頂面で足を組むオレを上目遣いでチラと見て、
ロージーは手にしていたファイルを置いた。



また考え込むように眉間を寄せて、
しばらくして決心するようにオレの目を見つめた。







「ねぇ、ムヒョ。」

「エンチューってすごく強い人だよね・・・・・」




「――――――あ?」






「すごく強くて・・・でもかわいそうだった。
苦しそうに見えたよ。」
ポツリとそう言って、視線を落とす。





神経質に指を何度も組み直しながら目を伏せるロージーに、
オレの眉間にも微かな皺が寄った。




「アイツに同情してんのか?」



「同情なんて・・・」
と否定しかけて、「・・・ううん、してるのかな。」と呟く。






「なんとなくだけど・・・最初ね、
図書館で初めて姿を見たとき・・・、
僕はこの人を憎めないんじゃないかって思った。」











そう言って微笑むロージーはとても弱々しくて。
少しだけ、息が止まりそうな思いを味わう。



コイツはどこまで純粋なのだろう。



たぶん、どんなに憎むべき相手にでも、
コイツはその弱さを見つけて心を寄せてしまうのだ。
それは、たぶんとても悲しい優しさ。


優しさという名で自身をも傷つけてしまう、
諸刃の剣と言えるかもしれない。






黙ってしまったオレに、
怒らせてしまったとでも思ったのだろうか、
ロージーはきゅっと唇を噛んで俯いた。




「ごめん・・・。
こんな話するべきじゃないよね。」










そう言いながらも、
彼は次の言葉を探すように視線を彷徨わせた。






その合間にふと視線を落とし、
オレは静かに溜息を吐いた。




何だかんだ言って、エンチューの話になると
無意識に緊張してしまうのか・・・。



じっとりと汗ばんだ両手の平を見つめる。






ロージーはそんなオレには気づかず俯いたまま、
「もしも・・・。」
と切り出して、吐息と共に言葉を吐く。
それは時々迷うように途切れ、空気を震わせた。







ロージーさえ言葉を途切れさせれば、
もう何も残らなくなるような静寂に、オレは短く息を吐き出す。






「エンチューは怨霊だって操っちゃうような人だし・・・。」

「もし僕が彼に操られてムヒョを傷つけてしまうようなことがあったら・・・。」




そこで次の言葉を飲み込むように、
ロージーは口を噤んだ。



そんな自分を想像するのすら耐えられないのだろうか、
今にも泣き出しそうな顔をしてロージーは声を震わせて。








「その時は
      僕を殺してね。」








「君を、傷つけてしまう前に。」








そんなのは本意じゃないくせに。

それでもそうなった時、
彼が本当にそうされることを望んでいるのが分かる。





だからこそ、
オレはすぐに答えることができなかった。





オレに、殺せと。




オマエを、殺せと。







それを、オマエが言うのか―――――。













「・・・・・・アホ。
テメェみたいなハナタレが、オレを傷つけられると思ってんのか?」







皮肉るように言って、
それでもオレはロージーの顔を見ることができなかった。



潤んでいくその目を、直視することなどできなかった。



直視したなら、ロージーの想いに、痛みに、
捕らわれてしまうような気がしたから。






無意識に手を握ったり開いたりしながら、
ロージーは渇いた声で笑った。




「うん・・・そうだよね。
僕が・・・君に敵うはずないもの。」



「変なこと言ってごめんね・・・・・・」








耐えられない。

そう思った。



何に?





自身ですら分からぬどす黒い塊が、
心に鈍くのしかかる。











「・・・・・・らしくねぇこと考えてんじゃねぇよ。」

無意識に口にして、
オレは自分の中に渦巻く感情に戸惑った。



悲しみとは違う、ただ無性に涙が零れそうな、そんな痛み。





言葉だけがまるで別の生き物のように、
閉じ込められてその出口を探そうとするかのように、
オレの中に在る想いを吐き出そうとする。










「オマエ、オレを独りにすんのか」









ボソリと口調だけは変わりなく、
それでも血を吐くように呟いた言葉に、
ロージーはその大きな目を見開いた。







「―――――ムヒョ・・・」





ロージーの背後の窓から、キレイな三日月が見える。



淡い光の粒子をこぼす幻想的なそれを見つめ、
瞳を潤ませるロージーを視界の隅で捉えながら、
オレは「それでも・・・」と苦渋の表情で笑った。











「万が一だ、そんな状況になったら・・・
オメェの望むようにしてやる。」








自分が望んだことだろうに、
それでもロージーは傷ついたような顔をして微かにうなだれた。






「そうならないといいな・・・
死んだらムヒョにもう会えないもんね・・・。」






それだけをようやく、絞るように呟いて。










立ち上がり、ロージーの正面に立ち、
その顔を見据える。








「――――――安心しろ。」










オレは身を乗り出して、
ロージーの髪に触れた。



素直な彼と同じに、柔らかな髪。
指ですくようになでて、指先に絡ませる。





彼の身長が高すぎて、
指でしか触れられぬのが惜しい。



そんなオレの思いが伝わったのだろうか、
ロージーはゆっくりと床に膝を落とした。





「大丈夫だ」




呟いて、血の気のないその頬に両手でふれる。


まるでそれを合図としたかのように、
瞳を縁取るように浮かんでいた透明な雫が、
頬を伝ってポタポタとこぼれ落ちた。




親指で拭ってやりながら、
頬を寄せて・・・慈しむように抱きしめる。







暖かいカラダ。

こぼれるナミダ。










安心させるように何度も何度も・・・頭を、背中をなでてやる。





そうしてやりながら、
ふとその行為が、彼のためではないことに気づく。



この温もりを失うことなど考えられない自分がいる。






彼を抱きしめることで、安堵する自分がいる。









「オマエ一人だけ、逝かせはしねぇよ。」








ロージーの体が微かに震えて、
何か言いかけようとするけれど、
オレはそれを制すように、その体をより強く抱きしめた。














ロージーの華奢な肩に頬を寄せて、ここではない遠くを見つめる。
実際コイツが不可抗力にしろオレを傷つけることでもあれば、
それだけで彼の心は崩れてしまうだろう。


そうなればきっと彼もエンチューのように、
崩壊の一途を辿ることになる。








だからこそ。
何があろうと、守らなければ。


そう思った。




オレのせいでロージーが泣くのにも、
大切な何かを失くすのにも、もう堪えられない。


例え、他の何を失おうと。







息が止まるような想いで、決意を、魂に刻み込む。








オレがいるんだ。


みすみすアイツの手に、
オマエが陥れられるような状況になんてさせはしない。
















望むなら、いつまでも抱きしめていよう。






だから、オマエがオマエ自身の死を願うなど、しないでくれ。











オマエを失くす孤独。





オマエがいない部屋。





オマエが笑うことのない世界。







それはなんて残酷でツメタイ世界なのだろう。











まるで、全てを閉ざす、色のない世界。












オマエの存在が世界という色の中心ならば、
オレはただそれを壊さぬためだけに生きていける。








いつまでも鮮やかに、
世界を彩って。











孤独という無色に喘ぐことなく、
オマエの微笑みで彩られる、ささやかな幸せを感じながら。
















■まさにスランプを体現したようなシロモノになってます(痛)
公開するにはちょっと(だいぶ)はずかしい・・・あわわわ・・・(逃避)